マーキュリー・モントレークーペだそうです。何とも旧いチョイスですが ..


実際、マスタングとクーガーは多くのコンポーネンツを共有しながらも、そのキャラクターは野生馬と山猫ほども違う。というのもクーガーは単純なマスタングのバッジ・エンジニアリング・モデルではなく、ボディ・サイズからして7inも長い。その延長分の大半は流麗なスタイリングを実現するための長いフードに割り振られるが、ホイールベースも3inほど伸ばされてスタビリティの高いハンドリングを誇り、これは同時にリアシートの居住性の向上にも貢献している。


しかし、だからといってクーガーがスポーティさに欠けるということはなく、1967年のデビューイヤーにSCCAトランザム・シリーズにマスタングとともに参戦したクーガーは初戦からフロントローを獲得すると、最終戦までにマスタングと4勝同士でトップに並ぶという活躍を見せた。

それでいて装備は豪華にされており、マスタングではパワーユニットのスタンダードは直6ユニットだったが、クーガーはV8ユニットのみのラインナップ。ヘッドライトはグリルと統一されるバキューム作動のドアで隠され、リアにはウィンカー作動時に内から外へと順番に光るシーケンシャル・テールライトを採用。サスペンションはスタンダードではマスタングよりもソフトに設定され、ロングホイールベースと相まって快適な乗り心地を実現していた。

なお、コンシールド・ヘッドライトとシーケンシャル・テールライトは、より大型のパーソナル・ラグジュアリー・クーペである同年モデルのサンダーバードと同じロジックで、クーガーがタキシードを纏ったマスタングなどと評される所以である。


コブラの中古車 テキスト検索結果一覧( 1~8件 ) | ..

この車を「C」項に登場させてもいいのかと一寸ためらう所だ。というのは、普通には「コブラ」と呼ばれているこの車は正式には「AC」あるいは「シェルビー・コブラ」だからだ。1923年テキサス生まれのアメリカ人キャロル・シェルビーは、1954年からアストンマーチンのワークスドライバーとして活躍し1959年には遂にルマンで優勝を果たすも、翌年健康上の理由で引退、以後車造りに専念する。アメリカではフォード・フェアレーンのV8エンジンと、グッドイヤー・タイヤ、そしてイギリスからはACエースのシャシーの提供を受けることに成功し、これを組み合わせた新しい車「ACコブラ260」が1962年誕生した。ヨーロッパのシャシーにアメリカの強力エンジンを積み込んだ車を「アングロ・アメリカン」と呼び、イギリスでは「アラード」「ジェンセン」「ブリストル」、フランスでは「ファセル・ヴェガ」、イタリアでは「イソ」などが有名だ。最初の「コブラ260」はフォード・フェアレーン用 V8エンジンが使用されたが、その排気量がアメリカ式の表示で「260キュービック・インチ」だったところから命名されたもので、換算すると4260ccとなる。この「AC 260コブラ」は75台造られ、1963年には排気量がアップして 「AC289コブラ」となった。「289キュービック・インチ」は4747㏄相当で、284hp、555台が造られた。これら「アングロ・アメリカン」たちは性能的には優れたパフォーマンスを持っているが、純粋なスポーツカーにこだわる一部ファンからは「邪道視」される異端児だった。しかし「ACコブラ」によって、これらを受け入れる市場がアメリカに存在することを知ったシェルビーは、パワーとワイルドさをより強調した究極の7リッター「シェルビー・コブラ427」の発売に踏み切る。

この型式のマーキュリー・クーペといえば、シルベスター・スタローンの映画「コブラ」での活躍が有名です。
360°ターンしながら追手に銃撃を加えるシーンなど、見事なカーアクションが次々と展開されます。

これを忘れていた!映画「コブラ」のマーキュリー!車もスタローンも両方カッコいい! #好きな劇中車.


「コブラ」はかなり古くから日本に住みついていた。写真の場所は神戸ポートアイランドにあるイタリア風の雰囲気を持った市民広場で、イベントは「モンテ・ミリア」と名付けられた「ミッレ・ミリア」をイメージしたもので、ミーティングの後、六甲の山道を一巡りするところから「モンテ」(山)となったのだろう。会場は9割までがイタリア車で、遠くから見ると広場全体が真っ赤に見えるほどだった。


「コブラ」は「ACエース」から進化したものだが、その証としてフェンダーの張出が状況に応じて何段階かに分かれて確認できる。最初の車に比べれば2番目とこの車(3番目)」は中程度といえる。フォード・フェアレーンから転用されたV8エンジンは「Cobra Powerd by Ford」のヘッドに変わっているが、大型のエアクリーナーは特にレース仕様とは思えない。

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(写真01-4) 1962-68 AC Cobra 289 (2001-05 モンザ・サーキット)

「コブラ」は世界中に生息しており、イタリアでも発見した。こちらは完全なレース仕様で、たぶん後ろのトラックに書かれたレーシング・チームの車だろう。フェンダーの張出はマックスだ。

ショールームで対面を果たしたクーガーは、グリーシャン・ゴールドのボディカラーにブラックのバイナルトップというコンビネーションもあって、とてもスリークでシックに見え、発売当時はマスタングよりもさらにオーナーの女性比率が高かったというのも頷ける。恐らくはリペイントされトップも張り替えられているのだろう、ザ・キャットの愛称に相応しく艶やかだ。

この個体はレストアこそされていないもののメンテナンスは充分に受けていたようで、302cidユニットは綺麗にアイドリングを続け、エンジンベイを覗けばラジエターキャップやホースにクランプ、エアコンディショナーのコンプレッサーやスターター・ソレノイドは換えられ、インテークマニフォールドやウォータネックがペイントされてフードのインシュレーターも残されているので、前オーナーは並々ならぬ愛情を注いでいたに違いない。

バキューム作動のヘッドライト・ドアも問題なく開閉すれば、リアのシーケンシャル・テールランプはICコントロールのLEDに換えられ、ホイールもオリジナル・テイストの15inアロイとされているので、普通に走らせていたのではないだろうか。

このくらいのコンディションのマスタングは、もうこんな値段では手に入らないのでお買い得といって差し支えないはず。このままのコンディションをキープして週末に楽しむのもよし、イグニッション系を強化してデイリードライバーにするもよし、外装品に大きな問題がないのでコンクール・コンディションだって目指せるだろう。新しくオーナーとなる方にはどうか、このレアなネコとの暮らしを末長く幸せに楽しんで欲しい。

映画や車を通して聴こえてくるHeart Warmな想いをShort storyで.

本間 薫(フリーランス)

1968年 東京生まれ
3歳の頃に父親が購入した1971年モデルのマーキュリー・クーガーの影響を受け、アメリカの音楽や映画、TVドラマに夢中になる。1991年よりタイヤメーカー勤務、レース用タイヤの開発に携わる。1997年にフリーランスへ転身、自動車専門誌の他、釣り専門誌やライフスタイル誌などに寄稿。形見となった父親のクーガーを現在も所有し、自らの手で3年半を掛けてオーバーホール、日常の足として使用している


巨大化した「コブラ」はこの車でも見た目がかなり獰猛となったが、それでもこれが一番おとなしいロードバージョンの標準モデルだ。前後にバンパーを持っており、左ハンドルなのでアメリカに輸出されてイギリスに里帰りしたものだろう。


よりシンプルなトリムを採用し、バンパー内に水平に配置されました (フルサイズのマーキュリー車に合わせて)。


ロールバーを装備し、オイルクーラーが見える、かなりやる気のこの車は、右ハンドルなのでイギリス国内向けのようだ。後ろにずらりと立てかけてあるボディは、木型から叩き出した完成品。

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(写真02-8a) 1965 AC Cobra 427 (1968-03 東京レーシングカー・ショー/晴海)

1968年には早くも日本で「コブラ」を見ることができた。東京レーシングカー・ショーで「レーシング・メイト」のコーナーに展示されたのが、多分我が国では最初に一般公開されたものだろう。レーシング・メイトは自動車のチューニングやそれらのパーツを販売するショップとしてはパイオニア的な存在で、「Van ジャケット」と姉妹関係にあり、レース活動は式場壮吉氏に代表される。

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(写真02-9ab) 1965 AC Shelby Cobra 427 (2007-06 英国国立自動車博物館/ビューリー)

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この車は僕の撮った「コブラ」の中で最大のフェンダーを持った究極の1台だ。イギリスのイベントに登場したこの車は、右ハンドルの英国仕様で、案内プレートには「AC Cobra MarkⅢ7-Litre」とあり、「Shelby」も「427」も出てこないのはイギリス人のこだわりか。

1990年 コンテンポラリー コブラ427 好調 極上車, 売約済, 北関東


この車のプロトタイプは1953年のミッレミリアに登場した「アルファロメオ・アバルト-コンレロ2000」で、翌年フィアットV8」のシャシーの載せて「スーパーソニック」として市販された。デザインはサヴォヌッティで「カロセリア・ギア」が作った。写真の車は、このボディをもとに作られ勿論中身は427コブラのスペシャル・チューニングエンジンが載っており、当時「J.Wオートモティーブ・チーム」の花形ドライバー-「ウイルメント」のために造られたワンオフの車だ。

マーキュリーが放ったマスタングの姉妹車クーガー【オートレイド】


ここまで来ると「AC」と「コブラ」の区分けがこんがらかってしまうが、「コブラ427」の発展型「AC428」も、ついでに紹介しておこう。1965年誕生したこの車はシェルビー・コブラと違って英国で生産される。中身は7リッターのコブラをベースにしたものだが、エンジン製造元のアメリカでは「コブラ427」の排気量が1966年から「428キュービックインチ」に変わっているのでそれが使われている。イタリアの「フルア」のデザインで、直線を生かしたすっきりしたボディには、荒々しさはなく上品で街中でも周辺りに気兼ねなく乗れそうだが、性能は「コブラ」と変わらず400馬力のエンジンは最高時速240キロ、SS1/4マイルを14秒で走りきるスーパーカーである。

クーペ乗ってたな!懐かしい。 次は綺麗なS30、そしてコブラ コブラ いつかは、乗ってみたい!笑その他、気に入った車達!.


ACコブラ289のシャシーにピーター・ブロックがデザインした軽量ボディを載せたこの車は、1964年2月「デイトナ2000km」でデビューし大成功したので、以後「デイトナ・コブラ」と呼ばれる。1965年には「フェラーリGTO」を抑え、GTⅢ部門で「ワールド・マニュファクチャラース・チャンピオン」となっている実力の持ち主である。「デイトナ・コブラ」のエンジンにはフォードV8 289キュービック・インチ(4727cc)が使用されている。ピート・ブロックはキャロル・シェルビーがドライバーをやめて、次のビジネスに取り組んだ時からの強力なパートナーだが、僕個人にとってこの名前は1967年日本GPにエントリーしただけでレースを走らなかった幻の車「HINO SAMURAI」という日野コンテッサをベースにした物凄く格好良かったスポーツカーのデザイナーとしての印象が強く残っている。

わたしの好きな映画の車コブラ(1986) マーキュリー・クーペ(1950年型 ホッドロッド)


(1-4)<フォード版 ムスタングGT・シェルビー・コブラ>(1966-70)フォードからエンジンの提供を受けているシェルビーは1965年から「フォ-ド・ムスタング」のハイパフォーマンス版の開発を委託され1966 年「GT350」シリーズを完成させ、67年から「GT500」が加わった。当初は「289」キュービック・インチだったエンジンは67年「390」、68年には「428」が登場した。これらの一連のムスタング・シリーズは「シェルビー」の名は付いているが製造も販売もフォードが行っており、ムスタングに箔をつけるため「コブラ」の名前を利用したとも考えられ、スポーツマインドを持った「シェルビー・コブラ427」とは全く別のコンセプトの車だ。

カーチェイスはなかなかの見物で、コブラの愛車は、50年代の「マーキュリー」。 ..


ノーマルのムスタングは200hp/4400rpmだが、シェルビー・マスタングは同じ排気量から306hp/6000rpmを絞り出している。写真の車の外見は殆どノーマルと同じように見えるがボンネットサイドに「GT350」と入っており、中身は凄いことを割と控えめに主張しているが、この年はどこにも「コブラ」のネームは入っていない。

1949年 マーキュリー 映画コブラ ホイール交換 1/64 劇中車 スタローン

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(3)<コメット> (米・マーキュリー)1960~
1903年に創立されたフォード・モーター社のラインアップは1960年時点では上から「リンカーン」「マーキュリー」「フォード」となっていた。創立者のヘンリー・フォードは頑固に実用一点張りでT型を造り続けて来たが、1922年息子のエドセルの意見を入れて高級車「リンカーン」を買収し、高級車と大衆車の2本立てとなった。しかし1930年代になるとライバルのGMは「ビュイック」「オールズモビル」「ポンティアック」、クライスラーは「デソート」「ダッジ」、その他独立系でも「ナッシュ」、「ハドソン」、「スチュードベーカー」など、中級車クラスが市場を占める割合が大きくなった。出遅れたフォードには追いつくために適当な買収先が見つからなかったのか、1938年新しく創設されたのが「マーキュリー」で、戦後の1949 年専用のボディが提供されるまではフォードと同じスタイルに一回り大きいエンジンを積んだものだった。しかし1950年代に入ると大型高級化が進み、大衆車フォードの兄貴分だったマーキュリーはいつの間にか高級車リンカーンの弟分と化した。1960年前後になると大きくなりすぎたことへの反省から各社から1930年代に近いサイズに小型化された、いわゆる「コンパクトカー」が発売され、フォードは1959年から「ファルコン」が投入され、翌1960年からマーキュリー」には「コメット」が誕生した。

1970年式トリノ・コブラ、オプション品のスポーツ・スラットとマグナム500ホイール装着車 ..


1960年誕生したてのマーキュリー版コンパクトカー「コメット」で、エンジンの6気筒 2364cc は、フルサイズのマーキュリー・モンテレー5110cc、モントクレア7043ccに較べれば、半分以下、1/3以下なのでアメリカとしてはずいぶん小さいと感じる排気量だ。ホイールベースの114インチは約3010ミリで、初代トヨペットクラウンの2530ミリに較べればかなり大きい。生まれたての「コメット」のグリルはフルサイズの凹型曲面モチーフから転用したものだ。場所は虎の門病院の前で、隣がアメリカ大使館なので最新のアメリカ車を見つけるには絶好の場所だった。

【アメ車買取】マーキュリー(MERCURY)中古車の査定相場まとめ

フォード・マスタングの豪華な姉妹車として知られるマーキュリー・クーガー。もともとクーガーの名前はマスタング誕生以前から存在しており、最初は1950年代にサンダーバードを富裕層に人気の高かったメルセデス・ベンツ300SLレベルへ引き上げるべく企画されたコンセプト・モデルの名前として登場、それは1960年代に入ると今度はシェルビー・コブラをベースとしたクーガーIIへと進化を遂げるものの、残念ながら1967年までプロダクション・モデルとして日の目を見ることはなかった。

ちなみに、この2台のコンセプト・モデルとプロダクション・モデルの共通点はヘッドライトが隠されていることで、オリジナル・クーガーはコンシールド・ヘッドライト、クーガーIIはポップアップ・ヘッドライトを採用している。

実はマスタングの開発時にもクーガーの名前は候補として上がってはいたが採用は見送られ、結果的に軽快なスポーティ・モデルに爽やかな草原を連想させる小型の野生馬、そのアップスケール・モデルに妖艶さも想起させる大型の山猫の名前が与えられたことは、それぞれのイメージに非常に良くマッチしている。