ASIAN KUNG-FU GENERATION アジカン Tシャツ Lサイズ
L to R
伊地知潔: Drums イヂチキヨシ 神奈川県
後藤正文: Vo & G ゴトウマサフミ 静岡県
山田貴洋: B & Vo ヤマダタカヒロ 静岡県
喜多建介: G& Vo キタケンスケ 神奈川県
【1996】
■96年大学の音楽サークルにて結成。
(後藤、喜多、山田にとって、生まれて初めて組んだバンドがASIAN KUNG-FU GENERATIONであった)
同じサークル内でドラマーとして活躍中だった伊地知が加入。全英語詩によるオリジナル曲で校内、地元横浜を中心にライブを行う。
【2000】
■00年、自主制作にて全英語詩による6曲入りのアルバムを発表。ライブ会場、インターネットにて手売り販売する。
【2001】
■01年、横浜CLUB24にて“YMD”をはじめ、いくつかの自主企画イベントを開催。
初めて日本語詩で取り組んだ楽曲“粉雪”が完成し、FM局の各インディーズ番組に音源を送り、自分達の楽曲が初めてFMでオンエアーされる。その後、日本語詩を取り入れた2枚目の自主制作CDを発表。地方や各ライブハウスで大盛況となる。
この時期から渋谷をはじめ下北沢、吉祥寺などで精力的なライブ活動を始める。
【2002】
■02年、アンダーフラワーレコードのコンピレーションCDに参加。
同年11月、初の正式音源となるMini Album “崩壊アンプリファー”をリリース。ハイラインレコード連週1位をはじめ、オリコンインディーズチャート35位を記録。
【2003】
■4月23日、『崩壊アンプリファー』がキューンレコードより異例の再リリース。5月に初のワンマンライブを下北沢SHELTERで行う。
夏には、FUJI ROCK FESTIVAL ‘03「ROOKIE A GO GO」、SUMMER SONIC ’03 東京・大阪にも出演。
■8月6日、1stシングル『未来の破片』をリリース。
■10月16日、シングル『君という花』に続き、ファースト・フル・アルバム『君繋ファイブエム』が11月19日にリリース。
【2004】
■1月19日~2月25日まで、初ワンマン・ツアー「five nano seconds」を行う。(全13公演)
■3rdシングル『サイレン』が4月14日に、4thシングル『ループ&ループ』が5月19日に、と二ヶ月連続リリース。
■自主企画イベントASIAN KUNG-FU GENERATION presents “NANO-MUGEN FES.”を7月1日に日本武道館にて開催。
この夏は、MEET THE WORLD BEAT、FUJI ROCK FESTIVAL、ROCK IN JAPAN FES. など10以上の全国各地のフェスティバルに出演。
■8月4日にシングル『リライト』をリリース、続く9月23日にシングル『君の街まで』をリリース。
■10月20日、セカンド・アルバム『ソルファ』をリリース、アルバム・チャート2週連続1位を記録。
■11月2日~12月5日まで、初の日本武道館ワンマンを含む全国ツアー「Tour酔杯(SUI CUP)2004~No! Member, November」を行う。(全12公演)
■初の映像作品となるビデオ・クリップ集『映像作品集1巻』を11月26日にリリース。
【2005】
■3月14日~6月26日まで、全国38都市48公演「Tour 2005 “Re:Re:”」を行う。
■初のライヴ映像作品となる『映像作品集2巻Live at 武道館+』を4月20日リリース。
■自主企画イベント: ASIAN KUNG-FU GENERATION presents “NANO-MUGEN FES. 2005”を7月9日に横浜アリーナにて開催。ASIAN KUNG-FU GENERATIONを含む日本4バンド、UK 4バンドの計8バンドが出演、さらに2ステージ制を導入。また、この8バンドの楽曲を収録したフェス連動コンピレーションCD 『NANO-MUGEN COMPILATION』も6月8日にリリース。ASIAN KUNG-FU GENERATION 新曲「ブラックアウト」を収録。
■05年夏、SUMMER SONIC 05 (東京&大阪)、ROCK IN JAPAN FES. 05、RISING SUN ROCK FES. 2005のメインステージに出演。
■11月30日には、7枚目のシングル『ブルートレイン』をリリース。続く12月には”酔杯2005~winter the dragon~”を行う。
【2006】
■2月15日、8thシングル『ワールドアパート』リリース。
■3月15日、3rdアルバム『ファンクラブ』をリリース。
■4月24日より、全38公演となるTour2006 「count 4 my 8 beat」を行う。■7月16・17日、二日間に渡って自主企画イベントASIAN KUNG-FU GENERATION presents NANO-MUGEN FES.2006を横浜アリーナにて開催。
■7月28日、FUJI ROCK FESTIVAL 06、初のGREEN STAGEへの出演を果たす。(FRFへは3度目の出演)
■10月25日、初の編集盤『フィードバックファイル』リリース。
■11月11日~2007年1月11日まで、初のアリーナツアー「Tour酔杯2006-2007 “The start of a new season”」敢行。総動員約10万人。
■11月29日、9thシングル『或る街の群青』リリース。(松本大洋原作のアニメ映画「鉄コン筋クリート」主題歌)
【2007】
■3月21日ライヴDVD第二弾となる 『映像作品集 3巻 “Tour酔杯2006-2007 The start of a new season” 』リリース。
■初の海外公演となる韓国での野外フェス「INCHEON PENTAPORT ROCK FESTIVAL」他、ROCK IN JAPAN、RISING SUN ROCK FESなど10本の夏フェスに出演。
■11月7日10thシングル『アフターダーク』リリース。(テレビ東京系アニメ「BLEACH」オープニングテーマ[10~翌年3月]
■11月29日~12月22日まで、全11本のTour 酔杯2007 ~Project Beef~を開催。(初の海外ワンマンライブとなる韓国ゴーストシアターでのライブ含む)
【2008】
■2月6日 11thシングル『転がる岩、君に朝が降る』リリース。
■3月5日 4thアルバム『ワールド ワールド ワールド』リリース。
■3月26日 ビデオクリップ集 第二弾 『映像作品集 4巻 』リリース。
■4月23日~6月29日まで、全国23都市31公演の「Tour 2008 ワールド ワールド ワールド」を行う。
■6月11日 ミニアルバム『未だ見ぬ明日に』リリース。
■7月20・21日 二日間に渡って自主企画イベントASIAN KUNG-FU GENERATION presents NANO-MUGEN FES. 2008を横浜アリーナにて開催。
■9月13日・大阪、9月15日・東京にて開催された「WEEZER FESTIVAL」にてWEEZERと共演。
■10月15日 12thシングル『藤沢ルーザー』リリース。
■11月5日 5thアルバム『サーフ ブンガク カマクラ』リリース。
■11月18日~12月18日まで、全国6都市8公演の「Tour 酔杯 2008 ~THE FINAL~」を行う。
【2009】
■1月9日~3月8日まで、初のホールツアーTour 2009「ワールド ワールド ワールド」を開催(追加公演1公演含む、全国17都市18公演)。
■3月25日 ライブDVD第三弾『映像作品集5巻 ~live archives 2008~』リリース。
ASIAN KUNG-FU GENERATION アジカン Tシャツ Lサイズ ..
その後、レコード会社の担当者の方にマネジメント会社の方をお繋ぎいただき、何度かメールでやり取りさせていただきました。アジカンも地球環境に対する考えを以前から持っており、ライブやツアーグッズのあり方を変えたいタイミングにサステナブルに特化した®Labelからのオファー、さらにニューアルバム『プラネットフォークス』を引っさげたツアーを5月末から開催するという最高のタイミングも重なり、ツアーに合わせてコラボレーションすることが決定しました。
アジカンのロゴを今までにない表現で落とし込みたいと考え、普通のシルクスクリーンプリントではなく、立体的で風合いのある (ヴェルヴェットのような) フロッキープリントを採用しました。ライブ会場限定カラーはボディと同色カラーでプリント、BYWEAR 限定カラーは逆配色のカラーでプリントしています。
られたイラストやバンドロゴなど全146点が収録されています。 【画像】『PLAY』目次&サンプル画像アジカン・G…
最初に音楽に興味を持ったきっかけは、小学生の頃にカーステレオで流れていた曲ですね。サザンオールスターズ、井上陽水、マイケル・ジャクソンなどがカセットに入っていて、じいちゃんちに行くときなんかにずっと聴いてました。中でもサザンは両親が大ファンということもあってめちゃくちゃ印象に残ってます。特に「KAMAKURA」(1985年発売)というアルバムはよく車の中で流れていて。今聴いてもめちゃくちゃ凝ったサウンドデザインのアルバムなんですけど、当時から「すごいカッコいい」と思ってました。親の車のカーステだからどれだけ音の再現性があったかはわからないですけど(笑)。
テレビの歌番組もよく観てました。ジャニーズが好きで、少年隊の「stripe blue」(1987年発売)なんてぶっちぎりで曲がよくて。光GENJIもデビュー曲の「STAR LIGHT」(1987年発売)から衝撃的にカッコよかった。のちに「あれは飛鳥涼(ASKA)の仕事だったのか」と知るわけですが、その頃はそんなことは関係なくミーハーに飛び付いてました。
初めて自分で買ったCDはTHE BLUE HEARTSの「青空」(1989年発売)。小6か中1の頃、父親が忘年会の抽選会でAIWAのCDラジカセを当てて俺にくれたんですよ。それがめちゃくちゃうれしくて。さらにCDを1枚買ってもらえることになって選んだのが「青空」ですね。本当は「リンダリンダ」とか「TRAIN-TRAIN」みたいな激しい曲がよかったんですけど、すみや(静岡を中心にしたチェーン店)に置いてあるシングルCDが「青空」だけだったので。アルバムは高いから「買って」とは親に言い出しづらくて。THE BLUE HEARTSを知ったのはたぶん、「はいすくーる落書」の主題歌(「TRAIN-TRAIN」「情熱の薔薇」)として聴いたか、友達に教えてもらったか。最高でしたね。どんな人たちかはまったく知らなかったですけど。
バンドへの興味ということではユニコーンが大きかったです。友達に「服部」(1989年発売)を借りたんですけど「すごいヘンなバンドだな」と(笑)。メンバー全員歌ってるし、「人生は上々だ」なんてどんどんキーが上がって、最後は歌えなくなるっていう。ジャケットは爺さんの写真だし「なんだこれは?」と思いつつ、自分のツボを妙に刺激されたというか。本屋でユニコーンが載ってる「PATiPATi」を立ち読みしたり、表紙のときは買ったりして、どんどん興味が湧いてきて。特に民生さんが好きで「奥田民生ショウ」という本も読みました。その頃は「民生」って呼んでましたけど(笑)。ただのファンですね。民生さんの影響で、中学のときにギターを触ってみたことがあるんですよ。「ヒゲとボイン」(1991年発売)に「風」「風 II」という曲が入っていて。「ダウンタウンのごっつええ感じ」でメンバーが替え歌を歌ってるのを観たときに「これなら難しくないし、弾けるかも」と思ったんです。バンドスコアを買って、親父のギターを弾いてみたんだけど、ネックが反りまくってて全然弦が押さえられなかったんですよ。「これは指が千切れる」と思って、ミュージシャンになるという発想は、弦高が高すぎるMORRISのアコギに弾かれました(笑)。ひょうきんな野球少年だったし、その後もバンドをやろうなんて思ったこともなかったですね。
ちょうど2021年の年末にBYWEARのサステナブルラインの®Labelが完成間近だったので、それを持ってオファーしようと思い、アジカンが所属するレコード会社に連絡しました。1日、1週間、2週間と経ち、返信が来ないので「やっぱりダメかぁ...」と諦めかけていた時に、レコード会社の担当者の方から返信メールが来ました。思わず「おぉ!」と叫びました笑。
J-POPや邦ロックの代表的なバンドのひとつASIAN KUNG-FU GENERATION(アジカン) ..
高校生になるとどんどん洋楽の情報が入ってきました。静岡って実はパンク王国で、90年代の初めにはBad Religion、Green Day、NoFXなどがけっこう流行っていて。野球部の友達から教えてもらった、にら子供というバンドも面白かったですね。曲は「野方一丁目クソババァ Fuck off」とかなんですけど(笑)。「こういう世界があるんだな」と思いました。
高校時代はオールディーズもよく聴いてました。当時流行っていたアメカジから50'sファッションにハマって、ジーンズやスニーカーに凝り始めて。GOWESTのデニムを静岡で買ったりしてたんですけど、その流れで「監獄ロック」「Johnny B. Goode」などが入ったテープを聴いてたんですよ。テープに「Moon River」も入っていて、めちゃくちゃいい曲だなと思ってました。ただ、その頃も自分でバンドをやるという発想はまったくなかったです。パンクは不良っぽくてカッコいいヤツというか、特別なコミュニティにいる人間がやるものだと思ってたし、自分は相変わらず野球部ですからね。音楽は好きだったけど、ただ聴いてるだけでした。
中学まではまったく勉強に苦労しなかったんですが、高校に入るとどんどん成績が下がって。高校の勉強は努力しないとダメじゃないですか。予習、復習なんてまったくやらなかったし、部活がきつくて授業中はほとんど寝てて。中学の先生に「お前は高校生になったら落ちこぼれるぞ」と言われてたんですが、その通りになりましたね。夏の高校野球の予選が終わって「さあ、どうしよう」と。学力的に大学は無理だったし、ファッションが好きだかったら「文化服装学院に行きたい」と親に言ったら、絶対にダメって猛烈に反対されて(笑)。いろいろ考えて、唯一ちょっと成績がよかった生物に賭けようと思って、じいちゃんが農家だったり、じいちゃんの兄弟が農学部の教授だったこともあって適当に農学部に行こうと決めたんですけど、怠け癖が直らず、浪人決定。新聞奨学生として東京の立川に引っ越して、予備校に行くことになりました。
■9月11日 スタジオ・ライブ・アルバム『ザ・レコーディング ~ASIAN KUNG-FU GENERATION~ at NHK CR-509 Studio』リリース。
ASIAN KUNG-FU GENERATION アジアンカンフージェネレーション ステッカー シール アジカン ..
ASIAN KUNG-FU GENERATION (以下: アジカン) と出会い、圧倒的な演奏力とファンを巻き込むパフォーマンスに心奪われすぐにファンになり、その後ライブにも5回以上 (Weezerのライブより行ってます) 行ったことのあるBYWEARメンバーの一人がノックしたことから始まりました。
■9月14日15日 横浜スタジアム「ASIAN KUNG-FU GENERATIONデビュー周年記念ライブ」を開催。
トップ; 「協力できたことが誇りです」 アジカン・後藤正文の吉報に、ファン歓喜
と、日本を代表する4人組ロックバンド ASIAN KUNG-FU GENERATION (アジアン・カンフー・ジェネレーション) によるコラボレーションが、Tour 2022『プラネットフォークス』に合わせて登場です。
特にASIAN KUNG-FU GENERATION(以下、アジカン)の影響は大きく、物語のメインと ..
予備校の授業にはあまり出てなかったんですよ。最初は行ってたんだけど、成績がよかったから、また怠け癖が出てきて「こんな感じで適当にやってたら、どっか受けるだろう」と。ダメですね(笑)。関東学院大学を受験したのはまったくの偶然。Oasisのアルバムを貸してくれた友達に「横浜の端の大学を受験する。遠いし、寂しいから、一緒に受けてよ」と言われて、「いいよ」って(笑)。学校の名前すら知らなかったんだけど、なぜか自分だけ受かっちゃったんです。「まあ、ここでいいか」という感じだったし、高校を卒業してからは行き当たりばったりですね。ただ、立川で浪人しなかったら音楽をやってなかっただろうし、関東学院大学を受験しなかったら、アジカンのメンバーとも会えてなかったわけで。結果的にはよかったんですけど、すごく不思議な感じがします。
大学に入ったらメンバーを集めてバンドをやろうと決めてたし、思い立ったら早かったですね。最初のライブからオリジナル曲をやっていたし、学園祭のときはすべて自分で作ったオリジナル。そのときは曲を書くメンバーがもう1人いて。そいつはその後デザイナーになって「The Future Times」やレーベルのロゴを作ってくれてます。ほかのアーティストのカバーをあまりやらなかったのは、人のマネをしてもしょうがないだろうなと思ってたから。例えばOasisのカバーをやっても、あんなふうにカッコよく歌えないじゃないですか。「Live Forever」もそうだけど、リアム・ギャラガー以外の人が歌っても大してカッコよくならないし、ああ言う感じにならないので。憧れはありましたけどね。チンピラみたいな兄弟がロックバンドで突き抜けていくっていう。
ただ曲を作ることに関しては、ノエル・ギャラガーの影響をめちゃくちゃ受けてます。コードが3、4つあれば曲を作れることを教えてくれたのはノエルなんですよ。ライブの映像を観ればわかりますけど、弦を押さえている左手がほとんど動かないんです。add9、sus4系のコードを弾いて、ベースが動くというアレンジが基本になっていて。ユニコーンよりもはるかに簡単だし、「これなら俺にもやれる!」と勘違いしちゃったんですよね(笑)。「え、こんなに簡単なコードだけで、こんなにいい曲を書けるの?」のオンパレードだし、ノエルの曲の構造を自分なりに調べて、「こういう組み合わせになってるのか」と少しずつ理解できたことが、自分の曲作りにつながったんですよね。
新宿のレコード屋でブートレグのビデオを買って、ノエルがギターで何をやってるのかを何度も繰り返して見たりして、いろいろ研究してましたね。途中で間違えて録画ボタンを押してしまって、いいところで「郁恵・井森のお料理BAN!BAN!」が入ってしまう事件もありましたけど(笑)。歌詞の書き方もそう。「ティッシュ(tissue)」と「イシュー(issue)」、「ステイ(stay)」と「アウェイ(away)」みたいに語尾をそろえると、メロディが気持ちよく聴こえるんだなとか。当時は韻を踏むということも知らなかったんだけど。頭韻、脚韻も知らないし、文学とかにも明るくなかったから手探りでした。
その後、「ノエルだけに頼ってたら、これ以上はどこにも行けない」と思い始めて。その時期に聴いたのが、Weezer。僕が最初にガツンと来たのは「Pinkerton」(1996年発売)だったんですけど。友達にパワーコードの弾き方を教えてもらって、さっそく曲作りに取り入れました。その頃は「ほかのバンドとは違う曲を作らなくちゃいけない」という気持ちが強かったんです。アジカンはテクニックで聴かせられるバンドではないし、曲が面白くないとダメだろうなと。Weezerは構成がヘンな曲が多くて、すごく参考になりました。日本のバンドからも刺激を受けてましたね。メロコア以外の日本のバンドにはそこまで惹かれなかったんですけど、BEAT CRUSADERSやPENPALSに勝手に共感していて。そのあたりからですね、現在のアジカンのスタイルに近付いてきたのは。
確かにベースにはなっていますが、バンドで録音/アレンジを進めると、自分が思っている以上にアジカンサウンドになるのです。 ..
と、日本を代表する4人組ロックバンド ASIAN KUNG-FU GENERATION (アジアン・カンフー・ジェネレーション) によるコラボレーションが、Tour 2022『プラネットフォークス』に合わせて登場です。
#アジカン · #アジアンカンフージェネレーション · #ASIANKUNG-FUGENERATION ..
「25歳くらいまでに声がかからなかったら、やめようかな」とあきらめかけていた頃に、今のマネージャーと出会って、メジャーデビューが決まりました。決して早いデビューではなかったし、土俵際ギリギリでしたね。デビューしたあとも、いろいろな音楽を聴いて影響を受けてます。ニューウェイブリバイバルの頃に「ファンクラブ」(2006年発売)を作ったり、海外のインディロックを聴きまくって「マジックディスク」(2010年発売)につながったり。The Streetsやカニエ・ウェストを聴いて、「これからは言葉の時代だ」なんて言って「新世紀のラブソング」(2009年発売)でラップをやったりね。世界の潮流で何が流行ってるのかが気になるし、リスナーとしてもそういうアーティストが好きなんです。ベックなんてまさにそうですよね。Foo Fightersみたいに、スタイルを確立したうえでアップデートしていくのもいいなと思いますけど。その両方を実現させたくて、アジカンとソロの両輪になったんじゃないかな。
最近リリースしたソロ曲「Nothing But Love」に限らず、曲を作ってるときは「ラッパーの言葉遣いに肉薄したい」というテーマがあります。ラップミュージックは世界的な音楽になりましたよね。ただ自分はバンドマンなので、そこに無闇に乗っかってもなという気持ちがあって。例えば、生音の“なまり”と打ち込みのビートを融合させたいなって。その上で、自分なりの歌い方を考えてみようと。「Nothing But Love」のビートは、シモリョー(the chef cooks me)が打ち込んだデモを、skillkillsのドラマー・さとしくんが生で叩いていて。かなりヨレていて難しいんだけど、そのグルーヴを完璧に表現できるんですよね。同じくシモリョーが編集したギターのフレーズを井上陽介くん(Turntable Films、Subtle Control)が演奏して、それもすごくて。ベースもシモリョーが手弾きで打ち込んでいるし、すべて人力なんですよね。今、素晴らしいミュージシャンの助けを借りて、自分がやりたいことを形にしているところです。
ASIAN KUNG-FU GENERATIONのオフィシャルウェブサイト。新譜、試聴、ライブ情報、着うた(R)配信情報など.
聴きやすくて印象に残るサウンドと、身近なことをファンタジーに仕立てて文学的とも評されている歌詞が、ASIAN KUNG-FU GENERATIONの大きな魅力となっています。