初心者ドのボーカルやギタリストが気軽に、「やろうぜ!」とか言い出すと修羅。


こういったことからアジカンは多くのファンを獲得し続け、結成から30年近く経った今でも根強いファンが多いのではないでしょうか。


アジカンにおけるドラムを担当するのは伊地知潔(いぢちきよし)。

後藤のけだるい歌声や意味の掴みづらい歌詞、ロック感際立つ曲調など、どれを取ってもアジカンの世界観を安定して感じられるというのが理由のひとつだと考えられます。

◎リリース情報
EP『サーフ ブンガク カマクラ(半カートン)』
2023/6/14 DIGITAL RELEASE

アルバム『サーフ ブンガク カマクラ(完全版)』
2023/7/5 RELEASE
<初回盤(CD+サーフ ブンガク カマクラお散歩マップ&楽曲解説)>
KSCL-3450/3451 3,600円(tax in.)
<通常盤(CD)>
KSCL-3452 3,300円(tax in.)

アジカンにおいて、伊地知は実は初期メンバーではなく、1999年に遅れて加入しました。

一方、山田は前述した通り、2015年にフリーアナウンサーの中田有紀と結婚しました。

新曲「西方コーストストーリー」は、先行配信されたEP『サーフ ブンガク カマクラ(半カートン)』、及び7月5日にリリースとなるニューアルバム『サーフ ブンガク カマクラ(完全版)』の収録曲。MVは、フィルムディレクターのイバナオトが手掛け、恋愛の初期衝動を俳優の見津賢と祷キララが表現している。

デビュー前にはさまざまなバンドを掛け持ちしており、アジカン1本ではなかったのです。

ASIAN KUNG-FU GENERATIONが、新曲「西方コーストストーリー」のミュージックビデオを公開した。 新曲「西方コーストストーリー」は、先行配信されたEP『サーフ ブンガク カマクラ(半カートン)』、及び7月5日にリリースとなるニューアルバム『サーフ ブンガク カマクラ(完全版)』の収録曲。MVは、フィルムディレクターのイバナオトが手掛け、恋愛の初期衝動を俳優の見津賢と祷キララが表現している。 なお、アルバム『サーフ ブンガク カマクラ(完全版)』は、2008年にリリースとなった江ノ電の駅をモチーフにした『サーフ ブンガク カマクラ』に、現在の視点からの楽曲5曲を追加し、江ノ電15駅分をコンプリートした作品となっている。
◎映像情報
YouTube『ASIAN KUNG-FU GENERATION「西方コーストストーリー」Music Video』
◎リリース情報
EP『サーフ ブンガク カマクラ(半カートン)』
2023/6/14 DIGITAL RELEASE

アルバム『サーフ ブンガク カマクラ(完全版)』
2023/7/5 RELEASE
<初回盤(CD+サーフ ブンガク カマクラお散歩マップ&楽曲解説)>
KSCL-3450/3451 3,600円(tax in.)
<通常盤(CD)>
KSCL-3452 3,300円(tax in.)

デビューしてすぐ順調に人気が出始めましたが、そのことでプレッシャーやストレスを感じていたとか。

結成時には後藤からのスカウトを受け入れる形でアジカンに加入しました。

伊地知潔さん以外の3人は、楽器を始めてからなんと3か月でバンドを結成しました。

しかし、デビューに向けて本気で活動することを決め、アジカンのメンバーとして歩みを進めました。


前述した通り、特にファンから言わせると、アジカンの曲はハズレなしなのです。

アジカンにおいては作曲に関わることも多い主力メンバーである一方、ギターを弾きながらよだれを垂らすなど天然な一面もあるようです。

初期の頃と比べると、もはや別人である。(15年以上の時が流れてるのもあるか

活動当初はバンドを辞めたいと言ったり、ゴッチさんの毒舌の餌食になったり、一見ヘタレキャラのようですが実は意外と強気な性格です。

驚くべきはメンバー4人の内3人が人生で初めて組んだバンドがアジカンだったということ。

静岡県出身で関東学院大学経済学部を卒業後、小さな出版社で勤務していた経験があります。

アジカンを知らなかった人は、ぜひこの記事で紹介した曲を聴いてみてくださいね。

横浜にある関東学院大学の軽音楽サークルで知り合った、後藤正文(以下ゴッチ)さん喜多建介さん山田貴洋さんの3人が初めて結成したバンドに、他のバンドにいた伊地知潔さんが加入してASIAN KUNG-FU GENERATIONがスタートしました。

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メンバーの内、後藤・喜多・山田に関してはアジカンが生まれて初めて組んだバンドだったというから驚きですね。

初期の曲のどれもそうだが、絶妙な切なさが含まれているのが良い。

「25歳くらいまでに声がかからなかったら、やめようかな」とあきらめかけていた頃に、今のマネージャーと出会って、メジャーデビューが決まりました。決して早いデビューではなかったし、土俵際ギリギリでしたね。デビューしたあとも、いろいろな音楽を聴いて影響を受けてます。ニューウェイブリバイバルの頃に「ファンクラブ」(2006年発売)を作ったり、海外のインディロックを聴きまくって「マジックディスク」(2010年発売)につながったり。The Streetsやカニエ・ウェストを聴いて、「これからは言葉の時代だ」なんて言って「新世紀のラブソング」(2009年発売)でラップをやったりね。世界の潮流で何が流行ってるのかが気になるし、リスナーとしてもそういうアーティストが好きなんです。ベックなんてまさにそうですよね。Foo Fightersみたいに、スタイルを確立したうえでアップデートしていくのもいいなと思いますけど。その両方を実現させたくて、アジカンとソロの両輪になったんじゃないかな。

最近リリースしたソロ曲「Nothing But Love」に限らず、曲を作ってるときは「ラッパーの言葉遣いに肉薄したい」というテーマがあります。ラップミュージックは世界的な音楽になりましたよね。ただ自分はバンドマンなので、そこに無闇に乗っかってもなという気持ちがあって。例えば、生音の“なまり”と打ち込みのビートを融合させたいなって。その上で、自分なりの歌い方を考えてみようと。「Nothing But Love」のビートは、シモリョー(the chef cooks me)が打ち込んだデモを、skillkillsのドラマー・さとしくんが生で叩いていて。かなりヨレていて難しいんだけど、そのグルーヴを完璧に表現できるんですよね。同じくシモリョーが編集したギターのフレーズを井上陽介くん(Turntable Films、Subtle Control)が演奏して、それもすごくて。ベースもシモリョーが手弾きで打ち込んでいるし、すべて人力なんですよね。今、素晴らしいミュージシャンの助けを借りて、自分がやりたいことを形にしているところです。

アジカン 初期Tシャツ 復刻デザイン Sサイズ F8CVG5GC

大学の卒業が近付くにつれて、「バンドを続けたい、プロになりたい」という気持ちがだんだん盛り上がってきました。「こんなにいい曲なんだから、もっとワーキャー言われてもいいんだけど」と思ってたんだけど、下北沢SHELTERの夜の部にも出られない状態で。卒業と前後して、東京のバンドの企画に呼ばれるようになって、そこから少しずつ軌道に乗り始めました。
日本語で歌詞を書き始めたのも、この頃。eastern youth、NUMBER GIRL、サニーデイ・サービスとか、日本語で歌うカッコいいバンドがどんどん出てきたんです。それまでは英語で書いてたんですけど、下手な英語の歌なんか誰も聴いてくれないし、そもそも何を歌ってるかわからない。伝えたいことがあったんじゃなくて、日本語で歌わないとサバイブできないから、やるしかなかったんです。詞を書くようなタイプではなかったし、どうやって自分のポエジーみたいなものを見つけたのか謎ですけどね。デビューしてから「文学的な歌詞」なんて言われても、「はい?」という(笑)。小説もあまり読んでなかったですからね。喜多(建介。ASIAN KUNG-FU GENERATIONのギタリスト)くんに薦められて村上春樹を読んだりしたけど、それまでは全然興味がなかったから。

その頃は「インディーズで1枚出して、そのままメジャーに突き抜けたい」と思ってました。今と違って手軽に楽曲を発表できるインフラもなかったし、「リリースするかどうかはレーベルが決める」という時代。「とにかく誰か見つけてくれ。スタートラインに立たせてくれ」っていう。同時にインディーズへの憧れもあって、よく「自分でレーベルを作りたい」と言ってました。KOGA RECORDSやUNDER FLOWERとか、日本にもインディレーベルがあったし、カッコいいバンドもたくさんいて。2010年にonly in dreamsを立ち上げて、インディレーベルを作りたいという夢はようやく実現しましたね。

だから、洋楽への憧れもあったんですが、初期は英語の曲を作っていました。

音楽を始めた頃は、何語だって良かったんですよ、歌詞なんて。歌詞が完成していなくても、適当にB-DASHというバンドがやっていたようなハナモゲラの言葉でライブをしたこともありますし、実際。音としてしか、考えていなかったんですね。だから、洋楽への憧れもあったんですが、初期は英語の曲を作っていました。別に、歌っている内容を誰かに知って欲しいとも理解して欲しいとも思っていなかったです。良いメロディで良い曲だと言われたかった、だけだったんです。

ASIAN KUNG-FU GENERATION(通称:アジカン) ..

曲は建さんの考えてきたリフレインを活かすように作曲していきました。というか、コードが最初から最後までふたつしか出てこないので、本当に簡単です。Aadd9とEだけ。笑。それ以外、解説するところ、ナシ。あはは。

アジカン後藤正文氏、初期はチー牛だったとか言われてて気になって昔のPV見てみたけど、髪型も眼鏡も服も似合っててずっとカッコいいんですけど…

予備校の授業にはあまり出てなかったんですよ。最初は行ってたんだけど、成績がよかったから、また怠け癖が出てきて「こんな感じで適当にやってたら、どっか受けるだろう」と。ダメですね(笑)。関東学院大学を受験したのはまったくの偶然。Oasisのアルバムを貸してくれた友達に「横浜の端の大学を受験する。遠いし、寂しいから、一緒に受けてよ」と言われて、「いいよ」って(笑)。学校の名前すら知らなかったんだけど、なぜか自分だけ受かっちゃったんです。「まあ、ここでいいか」という感じだったし、高校を卒業してからは行き当たりばったりですね。ただ、立川で浪人しなかったら音楽をやってなかっただろうし、関東学院大学を受験しなかったら、アジカンのメンバーとも会えてなかったわけで。結果的にはよかったんですけど、すごく不思議な感じがします。
大学に入ったらメンバーを集めてバンドをやろうと決めてたし、思い立ったら早かったですね。最初のライブからオリジナル曲をやっていたし、学園祭のときはすべて自分で作ったオリジナル。そのときは曲を書くメンバーがもう1人いて。そいつはその後デザイナーになって「The Future Times」やレーベルのロゴを作ってくれてます。ほかのアーティストのカバーをあまりやらなかったのは、人のマネをしてもしょうがないだろうなと思ってたから。例えばOasisのカバーをやっても、あんなふうにカッコよく歌えないじゃないですか。「Live Forever」もそうだけど、リアム・ギャラガー以外の人が歌っても大してカッコよくならないし、ああ言う感じにならないので。憧れはありましたけどね。チンピラみたいな兄弟がロックバンドで突き抜けていくっていう。

ただ曲を作ることに関しては、ノエル・ギャラガーの影響をめちゃくちゃ受けてます。コードが3、4つあれば曲を作れることを教えてくれたのはノエルなんですよ。ライブの映像を観ればわかりますけど、弦を押さえている左手がほとんど動かないんです。add9、sus4系のコードを弾いて、ベースが動くというアレンジが基本になっていて。ユニコーンよりもはるかに簡単だし、「これなら俺にもやれる!」と勘違いしちゃったんですよね(笑)。「え、こんなに簡単なコードだけで、こんなにいい曲を書けるの?」のオンパレードだし、ノエルの曲の構造を自分なりに調べて、「こういう組み合わせになってるのか」と少しずつ理解できたことが、自分の曲作りにつながったんですよね。

新宿のレコード屋でブートレグのビデオを買って、ノエルがギターで何をやってるのかを何度も繰り返して見たりして、いろいろ研究してましたね。途中で間違えて録画ボタンを押してしまって、いいところで「郁恵・井森のお料理BAN!BAN!」が入ってしまう事件もありましたけど(笑)。歌詞の書き方もそう。「ティッシュ(tissue)」と「イシュー(issue)」、「ステイ(stay)」と「アウェイ(away)」みたいに語尾をそろえると、メロディが気持ちよく聴こえるんだなとか。当時は韻を踏むということも知らなかったんだけど。頭韻、脚韻も知らないし、文学とかにも明るくなかったから手探りでした。

その後、「ノエルだけに頼ってたら、これ以上はどこにも行けない」と思い始めて。その時期に聴いたのが、Weezer。僕が最初にガツンと来たのは「Pinkerton」(1996年発売)だったんですけど。友達にパワーコードの弾き方を教えてもらって、さっそく曲作りに取り入れました。その頃は「ほかのバンドとは違う曲を作らなくちゃいけない」という気持ちが強かったんです。アジカンはテクニックで聴かせられるバンドではないし、曲が面白くないとダメだろうなと。Weezerは構成がヘンな曲が多くて、すごく参考になりました。日本のバンドからも刺激を受けてましたね。メロコア以外の日本のバンドにはそこまで惹かれなかったんですけど、BEAT CRUSADERSやPENPALSに勝手に共感していて。そのあたりからですね、現在のアジカンのスタイルに近付いてきたのは。

この『ワンダーウォール』という曲もそうですけど、オアシスの初期の ..

2曲についてゴッチさんは「ソラニンは、作品そのものの中に潜り込んだつもりで旋律を紡ぎました」「ムスタングは、漫画ソラニンを読んで自分の内側から湧き出た叙情を歌にしたものです」と語っています。

sasanosasaki @kawacho 初期アジカンエルレストレイテナー「やったぜ。」

このようなアジカン初心者の人に向けて、この記事では、アジカンについてや各メンバーの詳しいプロフィール、結婚しているメンバーはいるかなどを徹底的に解説します!